MA2015#02(1006)
#02 2015/10/6 遊びの源流思想 出席フォーム02
メディアアート2015第2回 「メディアと産業」「合理的配慮」「エンタテインメントシステムとは」「遊びの源流思想」 #板書 pic.twitter.com/IpyOt01But
— Akihiko SHIRAI, Ph.D (@o_ob) October 7, 2015
第2回講義フィードバックから
ラスコーについて
絵を描くことは純粋に楽しいので、当時の数少ない娯楽だったのではないか/現代の絵画のような物だと思ったので/絵描き勝負をしていたのかもしれない。アートを描きたかったのかもしれない。娯楽なの無い生活はつまらないのものと感じたためである。/絵をかくという発想は暇な時に思いつくものであると思う。今日狩猟した動物を食べた後、洞窟でゆっくりしている時に狩猟したやつをかいたりしたのではないかと思う。/あとの世代に天敵を知らせるため/何かを表現し訴えたかったことがあると思った。/壁画というのは、未来に残すためのものだから、目立った人のものであると思う。/教科書や記録ならば、もっとリアルに描くと思ったから/15000年前に技術などに関して考えているとは思えなかったため。しかし、自然現象を神の怒りと考える事はしっていたので、神=自然と捕らえ書いたと考えた。/自分が見た綺麗な景色を他者または未来の自分に見せたいと思い、壁に描いて残した。/生きるのもギリギリな感じの昔の人が生きる事に関係無さそうな絵を描くために顔料を作った事に情熱を感じたから/子孫に狩りの仕方を教えるために残したと考えたから。/狩りが下手な人が周りに見下されたので、上手になりたかったから/頭のような印象的な部分の緻密さに比べて体の造形が曖昧なところに畏怖のようなものが伺えるから/誰かに自慢したくて残したと思ったから/何かを伝えようとしているのかもしれないが、伝えようと思ったのも、結局は暇だったという理由なのではないかと思ったため。 /牛のような動物をはっきりと色濃く書いているため、その動物についての大きさや形などの記録をとったのだと思った。/黒板のような気がしたため/権力者が自分のためにより大きく、より上手に絵を描かせ、それを保持することで力を示した。から/自分達の文明が発達した姿や物・風習などを記録として残したかったのではないかと考えました。この絵の場合は、牛を狩って生活していたことを示していると考えます。 /狩りを教えるにあたって特徴や攻撃方法、急所などを教えるはずだと考えたからです。/集落などをまとめる為の宗教に利用されてそう/昔の宗教なども無かった時代では、食べ物に対してのありがたみなどを表現する方法のひとつとして、 こういった手法が取られたのではないかと考える。/狩りの方法についての記録だと思ったから。/一匹だけじゃなく何匹も描いてあるから/多くの歴史的建造物にも似たようなものが彫られているものから、祭事や儀式の際に使用したものだと思うから/見た目・特徴等を皆と共有するため/今までに狩ったものの記録だと思った/「これだけ強そうなデカい牛を狩ったんだぞ!」という事をその場に居なかった人にも伝えるため/頭の中の絵を壁に映したかった/自分たちが狩った動物を残しておきたかった/狩猟したもの(殺したもの)に対する信仰、感謝?/ラスコーの洞窟に住もうと思ったまたは基地(みんなの狩りの拠点)にしようとしたクロマニョン人がおもいおしゃれとして描いた/自分が暇だったら絵を描き始めているから。/洞窟に掘られてる壁画とか文字などは当時の記録だと思うから/動物との戦いの白熱を伝えたかったのだと思うから/歴史上こういうものは大概記録だから/絵を描いてると面白くてあっという間に時間が過ぎるから/たまったストレスなどを消費しようと考えた結果/昔に描かれた絵だと思えないくらい表現力があるから。/後世に伝えるため/実は当時ラスコーの洞窟はギャラリーで、画家が絵を描いていたから/村の中で一番狩野上手い人が自慢するために手先の器用な人にやらせた/狩りの成功を祈るため/背景から火事が起きているように見えるので何らかの理由で森が火事になってしまいました。クロマニョン人は火事のせいで住まいが被害に会い、その火事は手前で喧嘩をしている牛たちが原因だと考え、その牛たちへの恨みや、後世ではこのようなことがないように、という祈りの念が込められている壁画だと思いました。/当時は主に狩猟によって食料の調達を行っていたと考えられるので、動物は狩猟の対象であり、その狩猟の成功を祈願する意味があったのではないだろうか。/見たものを時間をおいて誰かに伝えたかったから。/美意識という文化があった/当時どのような事が起こっていたのかを表したかった。/地球に来た宇宙人が言語の通じない人類と意思疎通を図るために絵を描いた./昔は、今のように娯楽が蔓延していなかった為、壁に絵を描いて遊んでいたのではないかと思った。現代人も暇な時によく落書きをしているので、同じような感覚なのではないかと感じた。 /日記のように書いたと思ったから/見たもの聞いたことを自分たちの手で表現することが目的ではないかと思った/芸術に目覚めたクロマニョン人が他の仲間に隠れて洞窟で描いた(サボっていると思われるため)/おこった惨事を他へと伝えるため/狩の際に用いるべき知識や野性動物の習性の記録など、生きるために必要な情報を共有するための媒体だと考えられるため。/偏見だが昔の人々は今の人類と比べ野蛮で非合理的な考え方をしていると思っています。/この壁画は細部の写実的表現よりも動物の形や動きを重視した表現のほうにウェイトが置かれていると感じたため/深い意味は無く、「こんな生き物を見た」というのを誰かに伝えるために描いたのではないかと思いました。/人間はいつでも自分の能力の向上を追求していると思ったから。/「書けたから描いた」というようなところから始まって、塗料やモデルを探求するうちにこんな壁画になっていた。/村か何かで飼っていた仲のいい牛が突然喧嘩を始め村に大きな被害が出た記録/誰かに何かを伝えたいから書いたと思っていたため/自分が狩りをする中で強かった動物をキャラクターとして漫画を書くことで紙芝居的な娯楽として楽しんでいたのではなかろうか(上の写真が「ねぇどんな気持ち?のAAに見えた)/美味である動物のイメージを他者に教えてあげたところ、正確に伝わっておらず「不味かったんだが」という旨のクレームを言われたため絵で示した。/鹿しか襲えない人は、格が一番下。牛を襲える人は、格が中間。馬を襲える人は格が一番高い。そういうのを表した壁画である。/子供と親がする暇つぶし/人間という生物以外の存在を言葉では表せず、壁画として書記す文化を応用し、記録する形でも活用していた/自分達がこういう物を食って生きていると若い連中に伝えるため/人が生活していく上で大切な知識を後世に残す必要があるため/跡継ぎに自分が持っている情報を教えるために壁に絵を書き記録した/自分の見た光景がとても印象に残ってので何とかして仲間にそれを知ってもらおうとして生まれた/交尾/オナカスイタ/他に娯楽が少なそうだと思った/左隣の村はよく高級な牛を狩っていてが右隣の村は左隣の村によく高級な牛を取られているため村の権力者同士で力の争いがあった/自分の強さを表現したいという人間的欲求に従った結果であると考察する/昔はそもそも暇という概念がなさそうで、何かを崇拝しているイメージが強いから。
アニメーション作品
遊戯王5D’s/魔法先生ネギま!/耳をすませば/CLANNAD/EVANGELION/千と千尋の神隠し/原哲夫/どろろ/わからない/ノイタミナのCという作品。この作品を弟に紹介されてから深夜アニメを見るようになった。ちなみに、当時弟は中学2年生だった。/銀河英雄伝説/バンパイア騎士/宮崎駿さん/ZOIDS/機動戦士ガンダム/天元突破グレンラガン/化物語/Nightmare City(Flash作品)/放浪息子/NARUTO/CLANNAD/高橋和希/宮崎駿さん/上前淳一郎/デジモンアドベンチャー/蒼穹のファフナー/プロジェクションマッピング/新世紀エヴァンゲリオン/ひだまりスケッチ×365/大友克洋/ピクサーの作品/交響詩篇エウレカセブン/ディズニーのアラジン/BLACK CAT/ポケモン/デジモンアドベンチャー/涼宮ハルヒの憂鬱/とある科学の超電磁砲/とある魔術の禁書目録/ジブリ作品/デジモンアドベンチャー/紅の豚/仮面ライダー鎧武/機動戦士ガンダム/千と千尋の神隠し/あまりアニメを見ることがないのでこれといって強い影響を受けたものを挙げることは難しいが、小さいころに見たアンパンマンなどのアニメから少なからず道徳感を学んでいると思う。/serial experiments Lain/スペース☆ダンディ/ディズニー作品/アイカツ/涼宮ハルヒの憂鬱/高橋和希/トランスフォーマー/ロボティクス・ノーツ/初めてみたのはらき☆すたでした/TVアニメNARUTO/瀬戸の花嫁/ソードアート・オンライン/ポケットモンスター/CLANNAD/機動戦士ガンダム(ファースト)/ドラえもん/化物語/時をかける少女(06年)/特に無し/アナと雪の女王/『劇場版 空の境界』全作/楽園追放/仮面ライダー/星のカービィ/akira/遊戯王/アナと雪の女王/バジリスク甲賀忍法帳/CLANNAD/銀魂/富野 由悠季/アニメーションは特に思い当たらないので近しいものでいうと、ボルゾイ企画というグループが配信していた動画。その動画を見ていなかったらここにいなかったくらい。
講義の感想
娯楽というのは長い歴史の中で先人達によって分析され構築されてきたのだと感じました。
Facebookはリアル用Twitterはネット用という認識が、深めるメディアと広めるメディアという認識に変わった。
昔から遊びはあって、進化していると理解した。
将来SAOの用なゲームが生まれるのだろうか。
興味のあるイベントや研究発表には、参加すべきと思いました。
ユニバーサルデザインのこととか聞けて面白かった。
上の補足 細田守監督の作品も好きです
合理的配慮の難しさ、一筋縄ではいかない納得のさせ方に共感を得た
自分が知らない知識やtwitterなど考えや見方が変わったことなど興味深いものが多かった。
エンタテイメントシステムについて
エンタテイメントの例をあげたことについて、エアコンのリモコンや時計、計算器などがあがっていたが、いざ言えとなると、なかなか思いつかないものである。エンタテイメントの定義がいろいろあるものであることは知っていたが、いったいどれほどの定義が存在するのか、wikiったところですべてではないのだろうということが容易に知ることのできる講義の一部分であると思った。
普段、遊びと認知できないものが遊びの要素を含んでいることが多いと感じた。
色々な細分化されているものについて教わり、脳の中でつながった気がします
ツイッターとフェイスブックの違いがよくわかった。
先生のラスコーの絵の想像の内容は自分の発想の外側だったので興味深かった。
就活を意識させる講義でためになる。
今回の授業で「遊び」の歴史を知り、驚くことが多かった。「遊び」という言葉は言葉が生まれてすでに存在する言葉だと思っていた。しかし、実際は「遊び」は哲学者が分類を定義していく中で今の定義があると思うと面白さを感じた。一言に遊びといってもさまざまな考えがあることを学んだ。
合理的配慮という言葉を知らなかったので、今後何かの制作に関わる機会があったときには考慮したいです。
企業のインターンシップに行ったことがない人が多数いたので驚きました。
Facebookは、インターンシップに行ったときに、社員の方に友達登録しようと誘っていただいたことがあったので、社会に出たときに必要になると感じました。深めるメディアということで、今後も利用したいです。
ディスアビリティには身体的なものが取り上げられることが多いが、それらに限らず様々なディスアビリティがあることがわかった。
ディスアビリティと就職などの話を聞くうちに、多くの人が使うものや決まりなどにはその規模が大きくなるほど個々のディスアビリティに対応することが難しくなると感じた。
VRなど融通の利きやすいメディアに関わるならば、その特性を活かしてより多くの人に共通の楽しさを提供するためにより多くのケースを想定してものづくりをしなければならないと思った。
絵画から様々な視点で想像し、制作者の意図を探ることに興味を持てた。
合理的配慮という言葉を始めて知り、これからは、この合理的配慮を心掛けてみようと思った。今後のためになるような話が多く、とても良かった。あとは、ラスコー洞窟の壁画の話が面白かった。昔の人がどんなことを意図して描いたのかというのは、今まで考えたことが無く、与えられていた考え方で納得していたが、他の考え方もあるかもしれないというのが面白いと思った。
合理的配慮の話で、今の自分には関係ないと思っていたので耳の痛い思いになりました。これからは少し考えていくべきだと思いました。
牛の壁画についてはとても考える節があり、参考になりました
壁画の説明(想像)のインパクトが強く印象に残った。
TwitterとFacebookの違いについては私自身やっていてその通りだと思う。特にTwitterは拡散することを楽しむ人や、拡散されることを楽しむ人がいて、拡める、拡まるのを楽しんでる節があるためTwitterが拡めるメディアというのはその通りだと思う。
広がるメディアでTwitter、深めるメディアとしてFacebookという先生の講義は身近なものでの説明なので、簡単にそのことについて考えることができて面白かったです。ありがとうございました。
エンターテイメントシステムを役に立つものにする事は難しく、楽しめて役に立つものとして創りあげるにはコツや注意するべき点があるのではないかとおもいました。
遊びというのは今と昔で比べてする方法・場所が変わっているだけで込められているメッセージは変わらないと私は考えています。なので、私を含めゲームクリエイターやそれに類ずる職業を目指している人たちにとって方向性が見える授業であったと思います。
授業前半に話していた、「合理的配慮」についての説明などはとてもためになるものであったと感じる。白井先生が話していたように、体に不自由がある人をまとめてグループを作り対応するのでは、根本的な問題解決になっていないなど、共感できることがいくつもあったし、明日にも自分がそういった立場になるかもしれない。そういったことを考えていくと、とても合理的だと考えられた。
授業中にスマホをいじってしまったり私語をしてしまうことが障害であるという考えが驚きであった。
ツイッターとフェイスブックの違いについての説明がわかりやすく、フェイスブックを始めてみたいと思った。
ラスコー洞窟の壁画について、様々な考え方が出来るということを学び、何事においても一つの見方に捕らわれず、広い視野で考えていくことが大切であると感じた。
洞窟の壁画一枚から多くの事を想像できることをしった。
自分はクロマニヨン人になりきることはできなかったけど真面目なことからバカバカしいものまで理由を想像できたので楽しかったです
今回の合理的配慮の話で色々な障害には目に見えない、又はわかりにくいものもあるので、対象者自身が自分から配慮を受けたいと言い出せるようなシステムが必要であるとあったが、それにはその対象になるならない関わらず全ての人の意識を変える必要があり、人々の意識を簡単に変えることは難しいと思うので、社会全体でのルールにつけ足す必要があると感じた
解の無いものへの探求面白いと感じた。
芸術や技術といったものは正解ないため、いろんな可能性を秘めている面白いものだと改めて思った。
壁画の件が少し長いと感じた。
何故遊ぶのかについて、いくつかの説を例に挙げた話を聴けてよかった。
娯楽の起源についてのきっかけについて知る事が出来ました。
また、現代では多く存在するソーシャルメディアがそれぞれどのような特徴を持っているのかという興味が湧きました。
白井先生の壁画のストーリーがとても面白かった。もともと考えていなかったはずなのにあんなにたくさんのストーリーを思いつくのはとてもすばらしいと感じました。
・ラスコーの洞窟の壁画の書かれている場所によっても、違う創造が出来ると思う(最奥や入り口)。テレビでも損なようなことを放送していたような気がする。
障壁のない世界を作るということは主観的な感覚だけでは実現できず複数の者たちがいないと成しえないものであるということのが良く分かった気がする。
TwitterやFaceboook等のSNSは同じものでもどういう使われ方をするかで全く違うメディアになるのでSNSなんて複数もやる必要ないのではないかという自分の考えは消え去ってしまった。
そしてスポーツなどの娯楽は仕事や目的以外のところから生まれたエネルギーを発散するためから始まった遊びという考えは自分もそんな気がすると感心させられた。
今回の講義では、「ユニバーサルデザイン」に興味を抱いた。
例えば、「手すりが多い」、「段差が少ない」は本当にユニバーサルデザインなのかという点である。お年寄りの背丈に合わせて、背丈の低い子供のことを配慮していない場合、これはユニバーサルデザインではないということに合点がいった。
「全ての人々が支障なく利用できる」ということから、ユニバーサルデザインを考えることは難しいことだと改めて感じた。
ラスコー洞窟の壁画がどうして書かれているかの白井先生の例がとても面白い発想でした
ラスコー洞窟の壁画についての考察が印象深かった。今までも古代の壁画について考えさせられる講義はあったがどんな意図でその壁画が描かれたかをいくつも想像することはなかったので先生の言う想像も面白いと思った。
先生のラスコー洞窟のイメージの話がおもしろかったです
クロマニヨン人が描いた壁画の話が色々なシチュエーションが想像出来て面白かった。
クロマニョン人がなぜ絵画を描いたのかの理由を考えるとき、いろんな発想が思いついたり、自分ではこんな発想は思いつかなかったなどの発想する幅が増えた。
今回の講義で「遊び」の歴史を知ることによって、今に繋がってきていることし知れて良かったです。
今回授業で紹介したラスコー洞窟の他にもこれとは様式が違う壁画があると思います。昔の人間が壁画に託した思いは、どれも後の世の中に伝えるためだと私は、思います。
合理的配慮の話はなるほどと思いました。これからは、そういったことも考えてみようと思いました。
これからの時代、「エンタテイメントシステム」をどう活用していくかが重要になってくると考えました。ジャンルや職種を問わず、これの考え方は様々に応用が利くのではと思いました。
あと、クロマニョン人は面白かったです。
大学の講義を受けているときに「何でこの人はプリントを配布しないのだろう」と何度か思ったことがありました。
プリントがあれば後で読み直せるし、隙間に色々書き込めるし便利なのに…と。しかし、それは自分が便利というだけで他の人のことまで考えてなかったからかもしれません。
「print disability」という単語を聞いて、目の見えない人や文字の読めない人はプリントを活用できない、周囲にそういう友達がいないので考えたことも無かったです。
そういう人たちにどう接していくか、どうサポートしてあげるかが今後のクリエイターの課題なのですかね。
Twitter→拡げるメディアという点について、自分はTwitterやFacebookを利用してはいないが、リツイートの機能を考えると、「Twitter→拡げるメディア」という考え方は間違っていないと感じた。
また、ラスコー洞窟の壁画については、CGアニメーションの講義内でも似たような内容を取り扱っていたが着眼点が異なっていたため、自分にとっては同じような内容でも新鮮に感じた。
授業中の用語を英語で書いてくれるのは勉強になると思った。でも少し読みにくいのでもう少し綺麗に書いてください。
twitterが広めるメディアという話で、ペットやお年寄りの行方不明の情報などを広めるのはいいのですが、一時期話題になった飲食店などで起きた悪質な事件が同じように広まってしまうのはどうかと思いました。
ラスコー洞窟の壁画の先生の作り話が面白かったです。
Twitter、FaceBook、LineなどのSNSそれぞれの特徴を考えたことはなかったので勉強になった。今後利用する際には、それぞれの特徴を踏まえ、目的に沿ったものを選択して使うことができるようにしていきたい。
古代から人間は「表現すること」を通じて遊んでいて、その過程で現代の「メディア」という概念を形成した歴史があったことを感じることができた。
「必要だから」ではなく、自然な流れがあって、我々が様々なメディアに触れることが出来るようになったことが不思議に感じた。
世の中には様々なディサビリティを持った人が数多くいる。他の人へのディサビリティへの配慮を考え、その人に合わせたユニバーサルデザインやその人の能力を引き出すことのできる人物が求められることを知った。
Twitterは拡げるメディアでFacebookは深めるメディア。同じミニブログSNSといえど使い勝手や使用用途はまるで違う。実名を晒したがらない日本のオタクは趣味や趣向の合う仲間を探すことのできるTwitterを好んでいるのだろう。
エンターテイメントシステムというのは大昔から存在していたのだろうか。楽しむという感情や美的感覚の共有を持っていたのだろうか。今になっては本人に聞くことができないがクロマニョン人による壁画は美的感覚によるクロマニョン人なりの芸術なのだろうと予想する。
特にないです。
様々なSNSサービスがあるが,それぞれの違いがよくわかった.
今回の講義の内容は、谷中先生のヒューマンインターフェース、坂内先生のインタラクティブデザインの授業と近い内容だと感じた。もし自分が何かを開発するようなときには、誰にでも使えて尚且、使いやすい設計を心掛けたい。
壁画の解釈が、自分が思ったよりも多種多様な解釈があって面白いと思った。
エンディングのスタッフロールをあまりじっくりと見たことがなかったのでこれからは誰が作っているのかに注目してみてみたいと思います
パブリッシャーとデベロッパーの違いは大雑把に覚えていたので、改めて復習することができた。またサブコンという用語を知らなかったので学ぶことができた。
正直に言うと内容がうまく理解できず2回目からもうついていく自信がなくなった
というのが本音です
ラスコー洞窟の壁画の意図は、考えさせるものがあり、先生の例えの発想も面白かったです。
SNSの話が印象に残っています。自分はよくTwitterを日常的に使用、眺めています。LINEは連絡用に使っている程度です。Facebookはアカウントは持っていますが全く使用していません。理由は実名を使うからです。世界中の人はどうか知りませんが自分は中学、高校と俗に言う「イケてないグループ」にいました、なのでFacebook上で過去の「イケてるグループ」の同級生を見つけると劣等感を感じたり不快な気分になります。逆に「イケてるグループ」の同級生に自分のアカウントが見つかることを考えるのもイヤです。
自分はSNSのアカウントは全て鍵つきです。SNSの種類、特色は講義で述べられたことだけでなく、アカウントの鍵の有無でも様々な考察が得られると思います。
先生が今回の講義にて行っていた、パブリッシャーとデベロッパーがどう違うかの説明やスタッフロールで製作者を確認してみようという旨のお話は、現段階でゲーム業界に就職したくても就職先が不明瞭になっている学生に対して就職先の具体的なイメージ抱かせたり、興味を持たせる上でとてもいいきっかけであると思いました。
自分も合意的配慮やサブコン(下請け)の存在など、新しく気付かされる点が多くとても参考になりました。
パブリッシャーや、デベロッパーなどの違いはよく知らなかったので、そういう違いがあるのだと、勉強になりました。
Facebookはやっていないのですが、Twitterが拡げるメディア、 Facebookが深めるメディアというのは、簡潔ながら、とても分かりやすい説明だと思いました。就職関連のことは、まだあまりやっていないので……就職関連のお話はとても参考になりますし、助かります。できればこれからもお願いしたいです。
あと、先生の壁画の説明がとても面白かったです。思わず笑ってしまいましたが、色々な考え方ができるのは本当にすごいな、と思います。私も様々な視点から物事を見られるようになりたいと思いました。
今まで何も気にしていなかったが周りにある道具はなんでも何らかの目的を果たすために作られていることを実感した。
ラスコー洞窟の壁画について
「壁画」についての考察が興味深かったです。「密閉されていた空間に無数の壁画があり、それがなぜ描かれたものなのか分からない」…。非常にワクワクしますね。
https://www.youtube.com/watch?v=BU5mFXh04Fo
この動画によれば、洞窟は「落盤によって」密閉されたそうなので、元々は密室ではなかったということになります。であれば、自由に住民が出入り可能な状態で描かれた壁画というわけです。墓や宝物庫のような場所ではないし、やはり「娯楽」として焚き火をしながら描いたのだと考えます。
こちらの動画は映画『プロメテウス』のワンシーンです。主人公たちが異星人の部屋に入った途端、天井に描かれていた壁画がみるみる劣化する様が一瞬ですが確認できます。私は講義中にこのシーンを連想していました。
大昔から存在した絵を何のために描かれ、何にを描いたのかを想像するのがとても楽しかった、自分をはじめ自分の周りにも絵を描く友人が多くいますが未来何かの拍子にその絵が見つかったとき同じように想像を膨らませるのかと考えるととても興味深いと感じた。
まず、情報を取る方法、広める方法についてを知ることができ、また、表現について、昔から様々な表現が行われ、使われていたことがわかりました。
まずはじめに提出の方週末になりすみません。
ほか授業の方でばたついており、頭から抜け落ちていました。
今回の授業は色々と考えるきっかけになるものがあったなぁというのが感想です。
なかでも遊びの分類の中で「虚構の活動」という項目を聞いてこれは他の項目よりも考える余地があるなぁと思いました。
以下は授業後に考えた事を思い出した書いたものです。
6.虚構の活動…日常生活に対し、明らかに非現実であるという意識を伴っていること
この非現実がどの程度を指すのかによるのかもしれませんが、例えば追いかけっこや缶蹴り、かくれんぼ等の小学校自体にやったであろう遊びは少なくとも現実の範疇に収まっていると思います。もし、「非現実であるという意識」を持たずに行う行動が遊びではないとなるとこれらはどうなるのだろうかと考えました。
また、現実とインターネットの融合を行なっているコンテンツもあります。例えば、Ingresは現実の移動とネット上の陣地の融合です。現実の行動に基いていても現実にエキゾチックマターが噴出していることは無いので非現実であるとは言えると思います。
ただ、上記の二つの中間になるものもあると思っています。
例えば今はもう公開がされていませんが、Twitterで一時期流行ったShootingStarなどのクライアントはSNSを通じた拡散(RT)と承認(Fav)に基づいた遊び(レベル上げ)だと思います。つまり、(一部の「ファボ爆撃」をするような物がそう言えるかはさておき)コミュニケーションを取ること自体は現実であるのではないかと考えられると思います。
であれば、コミュニケーションをとるという現実に基づいた娯楽であるShootingStarは遊びではないのだろうか。と考えました。
感想というよりつらつら考えたことの方が多くてすみません……。
今までと視点の違うメディアというものの見方をすることができ、有意義だった。
1日遅れの提出ですみませんでした。
今回の講義の感想は、Twitterは広げるメディア。Facebookは深めるメディア。僕もそれを聞いて納得しました。僕も、Twitterでは、あらゆるニュースをフォローしてる人に広げていたからです。Facebookは、やっていないですが、本名でいろんな人と触れあっていくので、深めるメディアだと納得しました。
はじめに、提出が遅れまして大変申し訳ありません。
様々な事を面白く話して頂けるので、とても関心も向き楽しく聞くことが出来ました。
壁画の所が面白かったと思います。
SNSの話になった時『TwitterはSNSではない。』という話を聞いたのを思い出し、気になって講義中に調べていたのですが、『SNSというよりは日記だ』という主張のようでした。
結局どう違うのか、その違いを語れない程度の理解しか出来ませんでした。
参考URL: https://viratter.jp/t/sns.html
先生の壁画を描いた古代人が印象的でした
今までプログラムやシステムといった授業が多かったので、人の価値観で変わるアートの授業は新鮮で面白かった。人を楽しませるためにまず「遊び」を研究することでどういったものが受けるかを考えることができると分かった
壁画の絵は人それぞれ違った意味を受け取ってしまうので自分が何を伝えたかったのかをはっきりと伝えるべきだと思った
壁画の真相。それがどのような過程で生まれたのかは今では謎のままだがその過程を想像するのは非常に楽しかった。
先生のラップが面白かった
合理的配慮など、ラスコーの壁画など、人には色々な考えがあると学んだ
先生の壁画に対する様々な考察が面白かった。その場にいない人が、何を考えて物を作ったり絵を描いていたりしたのかを想像するのは面白いことだと思った。
提出遅れましたが、講義の中の内容でTwitterとfecebookのメディアの違いが印象的に残っています。
「遊び」というものがなぜ快感に結びつくのかということを考えさせられた講義でした。昔の研究者はこういったエンタテイメントというものに対して学術的に調査していて、現在のエンタテイメントシステムなどの根幹にあるということがとても印象に残りました。
自分でも「面白い」と思う作品作りはとても難しく感じています。それを提供するに当たって、この講義で出たような根幹から人間を考え、設計していくのがとても重要なのだと理解することが出来ました。
ラップ混じりの講義がとてつもなくツボだった。
私事だが教育実習が来年に控えているので、こんな風に面白くするやり方もあるのかと学んだのが一番心に残っている。